ハードロックじゃないロック。。。。。最終回
今どきは自分のドラムセットやとかギターアンプ、ベースアンプでライヴする人は少ないみたいですが。。。
まあ、現在のライヴハウス事情によるんで、6つも7つも、よ〜けのバンドでライヴせなアカンから、転換するのに現実的にムリな状況やと思いますが。。。
でもやっぱりドラマーさんやと、スネアとかペダルとかシンバル程度は持ち込んでる人多いでしょ。。。
まあ、ワタクシは仕事なんで、楽器のリペアとかメンテ、電気関係はさすがにあんまりなんですけど、ドラムに関しては、長年触ってきてますし、やってます。。。
今、バンドやってる人、バンドやってないけど、自分の楽器持ってる人、、、やっぱり自分の楽器の状態は把握しといたほうがエエです。。。
スネア買うて、そのまま使って「ヘッド破れたんですけど、どうやって交換するんスか?」、、、ペダル買うて、「重いんですよ・・・アカンな、このペダル・・・」これではあきまへん。。。
スネアなんてもんは、同じモンでもチューニングと張るヘッドの種類で、いくらでも音のバリエーションがあります。。。今のペダルなんかはおせっかいなくらい微調整できるようになってます。。。
まずは楽器買うたら「分解」してみてください。。。
展示してあったり、はたまたメーカーから送られてきたモンでも、ラグのネジやら、スナッピー部分やとか、数多く使われてるネジ類はユルユルが大半です。。。張ってるヘッドが自分の出したい音、またはそのスネアにベストマッチしてるなんて事はまず無いです。。。
バンドの中で、自分は担当楽器のエキスパートなんやから。。。
その知識や技術をバンドに提供することが、それぞれのパートで大事な仕事です。。。
自分の楽器を知ることもミュージシャンになる条件かもしれません。。。。。
無事にレコーディングも終了しまして、、、あとはプレスとジャケット作成。。。
『NO!』はまたライヴ生活に戻ります。。。
スタジオ帰り、よくシュウタに車乗っけてもらって一緒に帰ってました。。。。。
ワタクシはバイト終わりでスタジオ直行やったもんで、電車“通勤”だったのです。。。
シュウタが川西、ワタクシが当時、宝塚在住やったもんで。。。。。
夜中、谷四から宝塚までの道のり、、、2人で色んなこと話しながら帰りました。。。。。
特にレコーディング終了して、ラフミックスの音源聞きながら帰ったときは2人共ご機嫌でした。。。
「ええな・・・」
「うん、、、けっこうエエ仕上がりなるんちゃうか・・・」
「カッコええよ・・・」
「売れるで、、、これ・・・」
テンションは低いんですけど、、、シュウタにもワタクシにも、「イケる」って感触があったんですわ。。。
たぶん80年代最後の年、、、翌90年5月5日が『NO!』4SONGSマキシシングルCD発売予定でした。。。。。
年明けすぐにCD発売記念の東京ツアーが7月に組まれました。。。
新宿ロフト、渋谷ラママ、屋根裏、横浜7thアベニュー、その他数本、、、真夏の東京、お披露目ツアーです。。。。。
東京では無名の、なんやよう分らん、メタルでもパンクでもポップスでもない、、、流行のビートロックでもない、、、
「でもなんだかイイ音出してんじゃん・・・」
どのライヴハウスもブッキングマネージャーのそんな理由だけで、全公演メインアクト。。。。。
メンバー全員、ちょっと緊張、ちょっとハイテンション。。。。。
これを機に東京移住もメンバーの中でチラホラと言い始めてました。。。。。
とりあえずはすでに決まってる関西でのライヴと、5月5日の『ファンダンゴ』での発売記念ライヴを成功させる。。。
そんなこんなで季節は暖かくなり、、、桜も咲き始めた頃やったかな。。。。。
その少し前くらいから、、、シュウタがリハに来たり来なかったり、、、そんな感じが続きまして。。。
まあ、シンガーなんで喉の調子もあるし、バックだけ固めてれば、、、そんな雰囲気で3人のリハはやってました。。。
CD発売前なんで、ライヴも少し控えてたし。。。。。。
そうこうしてるうちに、4月も中旬を過ぎて、シュウタの来ないリハが数回続いて、、、、、
ちょっとおかしいな?と思い、、、その頃は携帯電話なんぞは無いもんで、家に電話入れても、留守。。。
何度かけても留守。。。。。最後のライヴから、もうかれこれ1ヶ月近くリハに姿を見せていませんでした。。。。
『ファンダンゴ』の記念ライヴが目前に迫り、プレスされたCDが山のように届いていた、、、4月の下旬。。。。。
このあたりはワタクシの記憶が定かではないのですが、、、、恐らくライヴの数日前まで3人でリハをしてましたが、、、「もうこれはアカンやろ。。。」
急遽『ファンダンゴ』をキャンセル。。。。。。
数日後“まっちゃん”から、、、「シュウタ脱退」の知らせ。。。。。。
「どないしてん・・・・シュウタ・・・・・」
その後3人で『スタジオJAM』に集まるものの、、、先が全く見えなくなってしまいました。。。
“まっちゃん”が、「俺、、、歌おか?」
きっと必死の考えで言うたんやろうと思いますが、、、、その時はちょっと「イラッ」としました(笑)
「ムリに決まってるやん・・・・」
そして解散です。。。。。
決まってた東京ツアーも全公演キャンセル。。。。。
怒られました、、、、色んな方面の方々に。。。。。。
後任ボーカルを探せば良かったのかも知れませんけどね。。。。。
あの時はムリやったんですね。。。。。
とりあえずの「ゴール」、、、通過点ではあるけど、、、そこでまたもう一段上に上がれる、ほんの一歩手前での失速です。。。。。。
心折れたんやと思います、、、3人とも。。。。。
“まっちゃん”はね、、、やっぱり怒ってました、、、シュウタのこと。。。
でも、ボクはなんか知らんけど、、、スゴい残念なんやけど、、、怒る気にならんかったんです。。。
ボクは「歌」が好きなんか、、、“ふっちゃん”にしても“シュウタ”にしても、エエ「歌い手」の後ろで叩いてたら、あんまりジャンルは拘らんみたいなとこあって。。。。。
一緒にどこまでイケるか・・・自分のリズムとフィル、タイム感とかで、どんだけ「歌い手」のテンションを上げてやれるか・・・みたいな、そんなんがゴッツ気持ちイイんです。。。。。
自分の中ではバンドは「歌ありき」なんで、今でもデスなんちゃらとか、叫ぶだけのまともに「歌」を歌えないシンガーは認めてません。。。。。
他のメンバーより親しかったしね。。。
シュウタがやめるって言うんやから、きっとスゴいことなんやわ。。。。。
それはどう考えても仕方ないことに決まってる。。。。。
せやから、しゃあないねん。。。。。
夜中にシュウタの車で出来立ての音源聞きながら、2人で帰ったときの事思い出しながら、そう思てましたわ。。。。。
数ヶ月、メンバーにも会わんと、なんもせんと、ひとりブラ〜っとしてたんかなあ。。。。
学生時代の友達はすでに就職とかしてたんで、付き合いもそう無かったし、話しても空気感が合わんのが分ってたし。。。
アイドル歌手のツアードラマーの仕事も「やってみたら?」って持ってきてくれた人がおったんですけど、、、なんかね。。。。。
まだ「バンド」にこだわってましたからね。。。。。
でもミュージシャンの道はまだ諦めきれんかったから、、、、知り合いとか先輩頼って、ひとりで東京行く事も考えたんですけどね。。。。。
その後、シュウタとは街で偶然2度会いました。。。。。
脱退の理由は当時は会わずじまいやったんで聞いてないし、その2度会った時も聞きませんでした。。。。。
今もハッキリとは聞いたことないです。。。。。
『NO!』が無くなって、ボクが就職して間なしに、シュウタから電話があったんです。。。。。
「カズぼん、バンドやらへんか・・・」て。。。。。
「なんで今やねん・・・」とは思いましたけど。。。
あと1ヶ月でも早かったら、やっぱりシュウタの後ろでドラム叩きたかったって言うのが本音でした。。。
そのメンツは正直スゴいメンツでした。。。。。
でもボクはもうすでに現役ミュージシャンでは無かったし、断りました。。。。。
ただその時に、、、、そんなメンツで自分をドラムとして誘ってくれたシュウタ、やっぱりドラマーとして認めてくれてたんやって改めて思えて、最後は不本意な終わり方やったけど、音楽やって良かった、シュウタと一緒にバンドやって良かったって思いました。。。。。
それから15年後に、、、シュウタとまたバンドやるとは思いませんでしたけどね^^
3年前にclubMERCURYの周年イベントで、活動停止してから1年ぶりに『DOCKING CHAIR』でゲスト参加したんですよ。。。
その時に、終わってからシュウタの元嫁(シュウタ、ゴメン 笑)と10数年ぶりに会って話しした時に、、、
「やっぱりカズぼんやったんや。。。あの人、久しぶりにウマいドラムと一緒にやってるなあ・・・て思ってん。。。」て言うてくれて。。。
お世辞でも、この時も、やっぱり嬉しかったです(笑)