ハードロックじゃないロック。。。。。その参

beaton1262009-06-14







シュウタが加入しまして、これで完璧。。。

あとはエエ曲を作るだけ。。。

基本的に曲は“まっちゃん”がベースライン、もしくはちょっと面白いベースフレーズを持ってきて、、、そこにワタクシが“まっちゃん”の「意に反するリズムパターン」を付けて、最後にギターアレンジと言う、、、とりあえず初めはケッタイな曲になるのが当たり前でした。。。。。

そしてシュウタが歌詞と歌メロ付けて完成。。。。。

ギターから作る伝統的な作業をしなかったおかげで、風変わりなリズムの曲とかたくさん出来て、結果的には良かったです。。。

結局、最後まで“まっちゃん”&カズぼんのリズム隊が曲を作り続けたわけでございます。。。

1曲だけ、『DARTS』時代の曲で使えそうなのがあったので、全てアレンジやり直しで作った曲がありました(ほぼ原形はとどめてませんでしたが)。。。

曲数も増えてきて、、、ボチボチとライヴでもせなアカンなあ。。。。。
とりあえずはメインで出てた『ファンダンゴ』からか。。。。。

そして約6ヶ月間のスタジオ作業を終えて、シュウタ、サカタくん、まっちゃん、カズぼんの『NO!』が『ファンダンゴ』のステージに立つこととなるのでございます。。。。。

『DARTS』活動停止から約半年余り・・・

ライブハウスサイドは、「やっと戻ってきたか、、、がんばってや。。。」

そんな雰囲気でしたが・・・

やはりバンドのフロントマンが交代するのは、バンドにとっては一大事であります。。。

しかもバンド名も変更。。。。。

そしてそれは、観に来てくれていたファンの人達にも一大事でありまして。。。

フタを開けてみれば、やはり不安は的中・・・

前任ボーカルのファンは全く姿が見えず・・・

バンド名も変わってしまってるので、、、同じバンドだと知らない人多数・・・

今のように「ネット時代」であれば、また違ったのかもねえ。。。。。。

50人そこそこの、、、ちょっと寂しい船出となった『NO!』でありました。。。。。

が、しか〜〜〜し!!!!!

出てくる音は以前とは別モノでしたわな(−−V

シュウタの低域も高域も声量のある伸びのあるボーカル、サカタくんの今までの鬱憤を晴らすようなギターワーク、まっちゃんのバシバシビンビンスラップ、そしてワタクシの切れるようなシャープなリズム(爆)

ロック色が強くて、、、まるで違うバンド。。。。。

演奏技術も格段にグレードアップしてましたしね。。。

ウケよかったですよ・・・・・男性客とミュージシャン連中には(−−)

『DARTS』の頃と比べて、演奏レベルも楽曲の水準も、周りから認められる様になったので、

「やっぱりこれで正解やったなあ・・・」と思ったのを覚えております。。。

『NO!』になってからは、黄色い声援は激減(笑)したものの、ハコのスタッフやら、観に来てくれた先輩ミュージシャンから賞賛の言葉を度々もらえるので、その方が嬉しかったですねえ。。。。。

ボクのドラムが好きでローディやってくれるような後輩もいてましたしね。。。。。

その時が21才くらいですか。。。そろそろ同級生は大学卒業しようかって頃やったわねえ。。。

ライヴもその頃は『ファンダンゴ』中心に月3本くらいやってまして、そろそろ大阪だけって言うのもなあ・・・・・

でも、みんなメタルバンド出身やから、自分らみたいな音出してるバンドは東京でどんなとこ出たらエエのかな???みたいなんもあったんですよ。。。。。

考えてた矢先に『スタジオJAM』で知り合いやった『COM-SO』なるバンドが「今度レーベル立ち上げるから、自分ら、どないや?」って声かけてきてくれたんです。。。。。

この『COM-SO』てバンド、ミュージシャンとしては、ワタクシよりだいぶ先輩にあたります。。。

まあ、大阪のマイナーファンクバンドてなとこです。。。

その中でも通称“銀次”さん、、、トランペット吹いてはる人でした。。。。。単品でCMのちょっとした仕事やら、バイショもしてはる、俗に言う「腕はエエ」ミュージシャンです。。。

この“銀次さん”、、、けっこうオモロイと言うか、“やたけた”と言うか、、、しょっちゅう顔に絆創膏貼ってはったイメージがあります。。。。。

「昨日どつかれた・・・・・」 「呑んでたから覚えてへんねや・・・・・」 

僕らには優しくて、とっても温厚なエエ人なんですけどねえ(見た目は怖いねんけどね・・・ずっとグラサンかけてはったし・・・)。。。。。

後に、この『COM-SO』vs『NO!』で『ファンダンゴ』で2度ほど対バンしました。。。。。



自主よりレーベル通したほうが流通できるし。。。知り合いやし、そう無茶は言わんやろ、ってことで東京進出の足がかりにするための音源製作に入ることになったんです。。。。。

当時はね、、、まだまだインディーズはレコードが主流の時代でして。。。
メジャーアーティストでもレコードとCDを同時にリリースするような、丁度レコードからCDに移り変わるような時代やったんですよ。。。。。

で、当然僕らもレコードでミニアルバム程度を考えてたんですけどね。。。。。

「自分ら、CDにしよ。。。」
「え!?CD?」
「自分ら、今までと違うチョット新しい音出してるし、ここは一発CDでいこうや。。。」

“銀次さん”の気合に押し切られる格好です・・・

テンション上がると言うかなんと言うか・・・・・
だって、、、その時ボク・・・CDデッキ持ってなかってんも〜〜ん(−−)



さて、じゃあ、、、何入れよか・・・となって、、、とりあえずライヴで演ってる曲やわなあ・・・

てことで、細かい手直しだけして、さほどのプリプロも無く、、、レコーディングに突入した訳です。。。

『スタジオJAM』の最新24CHレコーディングシステムですわ。。。。エンジニアは数々のHR、HMを録ってきた“ヒカリン”です。。。。。

別に“ヒカリン”はハード&メタル専門てことは無いんですけど、、、時代的なもんもあったんでしょうな。。。
当時の有名どころのバンドはほとんどこの人が手がけてました。。。。。

『マリノ』のツアーエンジニアもやってはりました。。。。。

実はボクはこの“ヒカリン”に録ってもらうのは2回目で、ハードロックバンドの時に1度お世話になってるんです。。。

その頃はもう慣れたもんで、いつもの自分のドラムセット組んで、あとは“ヒカリン”にお任せです。。。

ドンカマ君は日ごろから親しいお付き合いなんで、そこも全く苦にならないし。。。。。

ドラムブースのガラスの向こうのブースで“まっちゃん”がガイドベース弾いてくれてまして。。。

サカタくんも別ブースでバッキング弾いてます。。。。。

「ほな軽く1回やってみよ〜。。。」“ヒカリン”がガラスの向こうで笑いながら言うてます。。。

とりあえずマイクの位置確認もあるし、、、テープ回さんと。。。。。

「よっしゃ、、、エエよ。。。。今のいただきや。。。。。」

「は!?今の回ってないんちゃうの?????」

「録ってるで〜^^」

これもエンジニアの技術かもしれません(笑)


ボクの場合は過去の例も見ると、1曲につき3回録ったらもうエエ感じなんですな。。。

それ以上はもうクォリティが下がる一方で(飽き性か・・・)。。。

「もう1回やって、どっちかで決めよ^^ なんべんもやったら鮮度が落ちるわ^^」

結局この時は、ボクは全曲2テイクずつしか叩かんと上がってしまいました(あとヒマよね〜〜〜ん)。。。。。

それでベース入れて、バッキングギター入れて、ソロ入れて(ヒカリンも弾いてるのはナゼ?)。。。。。

ここまで数日で仕上げて、カラオケ作成終了ですわ。。。。。

あとは一番重要な「歌いれ」です。。。。。

一応スケジュールがあるんでね、、、やっぱり最後のボーカル録りとミックスに時間をふんだんに使いたいんで。。。
ワシみたいなテイク数の少ないドラマーとやってたら幸せやの〜〜〜〜シュウタくんwwwwwwwww(爆)

この「歌いれ」が予想外に難航したんですわ。。。

○月○日、PM○○〜ボーカル録り、、、、みたいにスケジュール決めてあるんですね。。。。。

それでまあ、その日の喉の調子でけっこうイケたり、イケんかったりね。。。。生ものやさかいにね、、、歌い手さんは。。。。

歌いれ初日。。。

ボクも歌いれだけは参加しよ思て行ってたんですよ(他のパートはいつ録ったかも知らないッス)。。。。。

ちょっとラフで録ってみて、、、なんか調子悪いみたいで。。。。何回かチャレンジして、、今日はやめとこか、、てなったわけです。。。

日を改めて、再度登場のシュウタくん。。。。

今度は登場からいきなり吸入器持ってまして。。。。。

「シュ〜〜〜〜〜〜〜。。。。。。アカン・・・・帰るわ。。。」

「ぇえええええええええ!!!!そんなんできるんですかぁああああああああ!!!」

で、また延期。。。。。

この後、しっかり数日で録り上げてましたけどね。。。。。




布施センサスホールか尼崎Vip2ホール・・・忘れた・・・